2006 動物との共生を考える連絡会シンポジウム <2006/10/08 掲載>
「動物虐待は凶悪犯罪の予兆か?」シリーズ

子どもの福祉と動物の福祉 〜それぞれの課題〜

2006年6月18日(日)東京ビックサイトTFTビルにて開催されたシンポより

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             <パネリスト>

                 丸山恭子  (「カウンセリングルームまるやま」主宰)
                 山口千津子 ((社)日本動物福祉協会)

             <コーディネーター>

                 山崎恵子  (ペット研究会「互」主宰)

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「児童福祉の現場から」  〜 丸山 恭子 さん

 
 私は一応高校まで日本にいましたが、大学からアメリカへ渡りそれから、今の人生の半分を

 アメリカで過ごしました。ある程度の経歴がないと日本では仕事ができないのではないか、

 まだ日本ではこの仕事をはじめるのが早いのではないかとも思い、アメリカでの国家資格、

 州資格を取得し、生かした仕事を続け1997年にアメリカから帰国して参りました。

 前々から予想はしていたものの、日本の閉鎖的な環境にとても衝撃を受けております。

 日本でもここ最近10年くらい前から“虐待”ということばをメディアやニュースで扱い始めていますが、

 アメリカでは日本よりかなり前から“子どもを一番最優先”に考えられている福祉が浸透しています。

 私がアメリカで実際に行ってきた仕事とは、アメリカにも企業もしくは病院において、様々な分野別に

 地域ごとに存在するソーシャルワーカーの1つでもある、サイキアトリック・ソーシャルワーカー

 (精神科ソーシャルワーカー)の子どもと家族という分野です。

 

 それはつまり、子ども中心に捉えるために、子どもの虐待に日々眼を光らせ、ある意味いつも疑いの

 眼差しを向け、子どもと面会し、評価もし、加害者であろう家族(日本の場合は、お父さん・お母さんの

 割合が多い)と面会し、評価をします。そして日本では、医師のみが下す診断名をソーシャルワーカー

 である私が出し、次へのステップ、入院までのステップなどの介入プランを立てていくという

 一連の流れに関わってきました。

 ですから日本に当てはまる職業は、あるのだろうか?というと、収まり切れないという表現がしっくり

 くるのです。なので、私が行っていますといいます。

 

 実際今現在、児童養護施設の非常勤・パートタイマーとして出会う子どもたちは、

 アメリカならばきっと、明らかに虐待児であるという眼に映る光景が、日本の主眼では、全く異なって

 おり乏しく、意識レベルが著しく低いのです。

 

 日本には、行政より配布されている“母子手帳”という大変素晴らしいシステムがあります。

 このシステムに関わるスタッフは、保健士さん・栄養士さん・助産婦さんなどこの1つのチームとでも

 いえる方々が、子どもの虐待・不適切な扱われ方・ネグレクトを真っ先に発見できる方たちなのでは

 ないでしょうか?

 そのチームの誰かが、あれっ?と、気づく、そこからはじまるのではないだろうかと思います。

 ただ今の状況では、あれっと気づいても、その次の行動がうまれません。そのためにも今、

 研修が必要なのです。

 子どもの不適切な扱い・子どもへの対応・子どもへの見方・子どもの虐待とネグレクトそれぞれの

 知識・理解・認識そして危機感、それぞれのチームスタッフの意識レベルを上げていかないことには、

 介入から防止へと繋がっていく行動は、起こり得ないのです。

 

 気づいた時、声に出してみる。みなさんのその小さな叫び声が、大きくなり受け止められて、

 はじめて基盤ができ整ってくるのではないでしょうか。

 

 いつも私は、いろいろな会議に出席して「本当に子どもを大事にしたいと思っているのですか?

 一体何をしているのですか?この子死にますよ!!」と、声を大にして危機表明みたいなことを

 言う係りをします。それを聞いた周りの大人は、そう言われても、どうにもこうにも動かない。

 実際に地域にこのような子がいて、こんな家族が存在して、いろいろな関係者が集まり話し合いを

 はじめます。でも、その中では大人たちの都合や大人たちが何をやっているのかというお話だけで、

 肝心の“これから、その子どもには、何が必要で、わたしたち大人は、どう動くべきなのだろうか?”

 という声が全く聞こえてこないのです。

 日本は、本当に子どもの福祉を最優先に考えているのだろうか?という問題、それは大人だけで

 解決するのではなく、まずはその子どもに眼を向け、その子を中心に考える。その中で、より多くの

 知識と認識力をフルに活用し、意識レベルの向上を高めることにあると思います。

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「動物福祉の現場から」  〜 山口 千津子 さん

 

 私どもの動物福祉協会には、毎日のように近所の犬が適切に飼育管理されていないというような

 苦情が入って参ります。


 今回丸山先生、山ア先生からもお話がありましたが、児童虐待と動物虐待は、とても似ています。
 私は、英国RSPCAのインスペクターコースを取得しておりまして、そこでは、動物虐待を、2つの種類

 に分けていました。1つは、意図的虐待、積極的虐待、殴る、蹴る、刺し殺すなど、みなさんが虐待と

 わかっている、表面に出てくる虐待。そしてもう1つは、意図的ではないけれども、最終的な結果と

 して、動物が苦痛にあえいでいるという虐待。つまりネグレクトです。


 私はいつもこういう話をする時は、パーセンテージも一緒に申し上げます。

 しかし日本の場合はなかなか動物虐待の統計がとれませんし、動物虐待と報告される事例は、

 それこそ誰が見ても虐待とわかる殺傷が通報されているため、それ以外の虐待がどれくらいある

 のかという数字が全く表に出てきておりません。

 ですので、今回は英国の事例をお話いたしますと、20%が、意図的な殺傷、残虐な殺し方をする

 虐待、残りの80%は、怠慢、やらなければならないことをやらないで、結果的に動物を苦痛に

 追いやっているという、ネグレクトなのです。日本の統計ではありませんが、私たちが常日頃相談を

 受ける状況から判断いたしますと、統計がありませんから絶対とは言いませんが、日本もこのくらいの

 割合ではないかと思っております。

 例えば、5日間えさをやらないという行為でも、えさをやらなければ、いずれ死ぬだろう。

 自分の手で殴り殺すのはできないけれども、このまま放置しておけば死ぬのだから、えさをやらない

 という意図的な人。あるいは、ひょっとしたら、5日間えさをやらないままでいれば、死ぬかもしれないと

 思いながらも、えさをやらないでいる人。そして、動物のことを全く知らないという無知な人、5日間

 えさをやらないでいれば死ぬなんて思いもしなかったという人。結果はどの場合でも、動物は苦しんで

 死んでしまったのです。人間側の都合、理由がどうであれ、置かれている動物をまずは見るべきで、

 動物福祉というのは、相手を立場に立って手を差し伸べる、相手の立場に自分を置くことだと思います。

 ですが、私たちに通報があって、外から見えるケースでは、改善をお願いしますが、

 肝心の飼い主さんが、放っといてくれ!といえば、それ以上介入できません。何とか緊急保護したいと

 思っても、所有権が強すぎて緊急保護できない。万が一飼い主が、所有権放棄をし、動物を引き取る

 ことができ、もらい手が決まった場合でもその後、二度と飼ってはいけませんというような、飼育禁止は

 日本の場合、言えないので、また同じことを繰り返えす傾向にあります。

 しつけをしていたら、骨折をした、タバコの火を押しつけたなどをした中にも、一応動物病院へ連れて

 いく方々も結構いらっしゃいます。その時、診断をした獣医師は、これは絶対に虐待だと思うけれども、

 警察に通報しても受け入れてくれるだろうか?と、考えてしまいます。また通報した後、保護されて

 いないために、もっと悪いことが怒るのではないだろうか?など、それこそ児童の場合もそうであった

 ように、そういった不安を受け止めてくれる、専門家たちが一緒になった受け皿が必要になります。

 動物が心身の苦痛の状態にいることは虐待です。
 いつも私が言っている動物福祉の基本である5つのフリーダム、5つの自由は次のことを言います。
 1つ目は、飢えと渇きの自由。2つ目は、不快からの自由。3つ目は、痛み、けが、病気からの自由。

 4つ目は、恐怖や抑圧からの自由。5つ目は、自由な行動をする自由。

 人と動物が共に暮らすにつけても、動物が本来持っている生理、生態、習性や自然な行動ができる

 だけだせるよう、動物に多大なストレスをかけないように、しなければなりません。

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「総括として」  〜 山ア 恵子さん

 

 児童虐待と動物虐待、お二人のお話を聞いていて、似たケースがたくさんあります。
 一貫として感じたのは、こどもにおいても、動物においても、例えば本当に合法的に動こう、

 システムに従って動こうという人がどうも損をするような社会が今あるのではないかと思います。

 合法的に動いている人が損をしない社会というのを、特に動物とこどもという弱者を見たときに

 どうやってつくっていったらいいかというのは、これから共通の課題だと私は思っております。

 動物を取り上げることができないし、また飼いはじめてしまったらどうしよう、飼うのをやめさせるような

 基本的な人権の侵害はできないと、山口先生がおっしゃっていましたが、これは私も丸山先生に

 伺ってみたいのですが、例えば、親になれない人もいるのではないだろうか?とも思います。

 そういう人たちがどうも親になってしまっているということは、確かにそれは言ってはいけないこと

 かもしれません。つい最近も神奈川県で、どうも連続的に自分のこどもを殺めていたような、

 押入れから出てきたお母さんがいらっしゃいましたが、それって一体何なのだろうか?と。

 これもやはり似た部分があるのだろうか。どうして繰り返し、繰り返し同じことをやるのだろう?

 それをどこでストップ、介入できるのか?介入の条件とは一体何なのだろうか?介入の条件が

 そろえば、介入できると思うのです。

 そこをどのように対応するのかということも、恐らくこれから我々がディスカッションの中で、

 話し合っていかなければならないことだと思います。

 しつけと称して虐待されている動物もいます。これは、やはり半年ぐらい前の新聞の誌上を賑わせた

 引きこもりの青年を預かる施設での事件がありました。暴れるからどうしようもなかったと、死亡させて

 しまった事件。預けた親は、どうしてそれをしてしまったのだろうか?仕方なくしてしまったのだろうか?

 親を加害者としてみた時にどのように介入したらよいのだろうか。これは、飼い主に対してどのように

 介入をしたらよいのかといことと全く同じなのです。思い余ってという問題に、特に精神科のソーシャル

 ワーカーとしてどのように対応していらっしゃるかということも非常に私としては、関心があります。

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