12月7日シンポジウム「諸外国に学ぶ日本の動物愛護の展望」動物を扱う人々の責任とは

基調講演「わが国動物法の特質と現代的課題―時空の中の大きな位置づけ」

 

 

一橋大学大学院教授  青木人志

 

1.文化問題としての動物法問題

わたしの専門は比較法文化論である。近年動物法の比較に関心を持ちその方面の著作があるが、動愛法改正という切実な政治問題より、むしろ海外と日本の法と文化を時空の中に大きくゆったりと比較したい。文化という言葉は誤解を招きやすい。文化はおそらく「文明開化」から来ていて、進歩の概念と結び付けられることが多いが、今日は文化の優劣や良し悪しという問題からはワンクッションおきたい。また、文化は個々の人間が担うものだから究極的には個々の人々に帰着する。自由意志を持つ人間は変わることができる。したがって文化もまた変わりうる。動物についての文化はどのくらい変わりやすいものか断言できないが、そういうものとして文化をとらえたい。

まず、手元に配布した「米軍探知犬、イスラムで不浄」という新聞記事を見ていただきたい。バクダッドの米軍が犬を使い爆弾を探知しようとしたら、動物愛護の観点からではなく、犬は不浄だというイスラム的な考えから、現地イラク人職員がストライキをしたという記事である。豚や牛は宗教的な食物戒律と結び付いた極めて強い文化的刻印を帯びる動物であることは知られているが、ともすると犬だけは世界中どこでも愛されていると誤解されがちである。しかし、注意していると、このような報道に接する事もある。似た例を挙げると、ヨーロッパとアジアの中間にあるトルコで、野犬狩りをしていいか議論になったことがある。きっかけはイスタンブールで少女が野犬にかまれて狂犬病で死んだ事であった。トルコの代表都市に野犬がいるのは問題だから野犬狩りをしようと言う人と、動物愛護の観点からそれに反対する人がいたわけだが、それを報じた新聞によると、その対立の背後にはトルコ社会の宗教的な対立が隠れているとのことであった。ここでも深いところで、動物問題と文化がつながっている。あるいはまた、イランでは、ハタミ大統領登場以前は、犬を散歩させているだけで警官に罰金刑を取られる事があったという記事に接したことがある。こうしてみると、動物はすべて文化的な存在であり、それと関係する動物法も必然的に文化的色彩を帯びるのである。

 

2.動物虐待罪の日英比較

RSPCAの活動状況についての資料を見ていただきたい。RSPCAが勝ちとった動物虐待罪の有罪判決数は、1996年には犬の虐待によるものが768件であることがわかる。同年の数字は、その他の虐待対象動物別に言うと、猫(185件)、野生動物(142件)、豚(23件)、羊(265件)、牛(97)、馬・ロバ(206件)となっている。

日本の動物虐待罪規定に比べると、2つの注目点がある。

第1点は、動物虐待罪による有罪判決数の圧倒的な多さである。わが国では、動管法時代から動物虐待罪の活用件数は少ない(年間1桁の起訴件数しかない)。動愛法時代になり動物殺傷・虐待罪の法定刑が飛躍的に引き上げられたが、起訴率はまだまだ低調だ。

第2点は、虐待対象に犬が圧倒的に多いのはよくわかるとはいえ、猫の虐待は相対的に少なく野生動物や畜産動物と件数においてさほど違いがないということである。

このような状況特に第1の違いから、動物保護の点で「イギリス人は進んでいて日本人は遅れている」という議論と、その一方で、「イギリスの動物虐待有罪数の多さはイギリス人が動物をいじめている証拠で、動物虐待罪の起訴件数が少ない日本は動物を愛している証拠、むしろイギリスが遅れていて日本が進んでいる」という議論を耳にしたことがある。どちらの見解も素朴すぎて賛同できない。

 

3.動物法を考える2つの視点

 動物法について考えるとき、2つの重要な視点がある。第1に動物法は「動物」法だから動物についての意識の問題が関係しているということ。第2は、「動物法」は動物「法」だから法一般についての問題が関係しているということである。

第1の視点から考えよう。最初の近代的動物虐待防止法は英国で1822年に成立した。その2年後にはRSPCAが設立されている。動物保護法と動物保護団体は不可分の関係にあるものとして作られ、現在まで続いている。同法はリチャード・マーティンという議員を中心に作られ「マーティン法」と呼ばれるのだが、その立法過程で強調されたのは、使役動物とりわけ馬の酷使をやめさせることであった。現在、日本の動物虐待罪は犬と猫が中心に議論されているが、それとは趣を異にする。約30年後にフランスも、グラモンという軍人議員が中心になって動物虐待罪規定を作っているが、やはり軍馬の保護を議会で訴えている。ヨーロッパの動物保護法の出発点が、馬を中心とする使役動物にあってコンパニオン・アニマルではない、ということはぜひ強調しておきたい。

ところで、日本は、明治期に近代的・西欧的な法典整備を行ったのだが、その際、西洋列強との江戸末期に結んでいた不平等条約を改正したいというのが、明治政府の悲願であった。自ら法治国としての外見を整え、西洋列強と対等な文明国であること示したかったわけである。最初に作られた法典のひとつは刑法であった。明治6年にフランスのパリ大学からボワソナード教授をお雇い外国人として招き、草案起草に着手するのだが、当時すでにフランスでは動物虐待防止法ができていたので、同教授は類似の規定を日本でも作ろうと考え、みずから起草した刑法典の仏文草稿中に「動物殺罪」をもうけた、その草稿段階では「牛・馬・驢・羊」を対象動物であったのだが、日本人起草委員との折衝過程で「驢」と「羊」は削られ、最終的には「牛馬」だけを対象動物とする「牛馬殺罪」が刑法に残った。しかし、記録によると、そのとき折衝にあたった日本人委員は、「この法律は格別要用の法ではない」と述べていることが注目される。明治初年の日本には、フランス人ボアソナードの感覚が理解できなかったのだろう。

どの動物種を重要と考えるかは、長い歴史と関係した問題である。おそらく、畜産・肉食の歴史の長い西欧社会では、使役動物や畜産動物の保護がまっさきに念頭に置かれたのであろう。人間のために働き犠牲になる動物に無用な苦痛を与えないということが、一種の職業倫理として法に結晶した、というのがわたしの仮説である。そして、そこを出発点にしているので、19世紀に実験動物の問題が出現したときに、容易に動物虐待防止法を容易に拡大できたのであろう(英国では1876年に動物実験規制法が出来ている)。馬や羊を保護対象とするところから出発したからこそ可能なことであって、動物保護法がもしペットへの愛着感情から出発していたら、そうはいかなかったと思われる。

 次に第2の視点から考える。「法化」(リーガライゼーション)と言う言葉がある。近年、英国のアン王女の飼い犬が人を噛んで、王女に罰金刑が科されたという事件があった。この事件には二重の意味で驚かされる。王女でも罰金刑を受けるという点で日本の皇室とだいぶ違うという点と、犬の管理についてもずいぶん厳しい法規制があるのだという点である。わが国では裁判は遠い存在で、一生関わりをもたない人のほうが多いと思われるが、外国も同じだと考えるのは間違いある。日本は先進国の中では法的インフラの整備が非常に遅れている。たとえば訴訟社会の国といわれるアメリカ合衆国には、人口10万あたり284.3人もの法律家がいるが、日本では17.7人しかいない。イングランドとウェールズはアメリカほど多くないが、それでも155.3人いる。民事訴訟率も英米に比べ日本は非常に低い。また貧しい人の裁判費用を補助する法律扶助の金額はイギリスでは年間1610億円にも達するのに、日本はわずか約13億円にすぎない。

法的アクターの違いも重要である。英国はいわゆる「私人訴追主義」を原則とし、警察官や検察官でなくとも、私人が犯罪を訴追する権利をもつと歴史的に考えられている。じっさいRSPCA(ロイヤルを冠していても国家機関ではない)は動物虐待事例を、自ら刑事裁判所(治安判事裁判所という簡易な裁判所)に持ち込むことができるのであり、それゆえ、最初に紹介した活動報告書に「勝ちとった有罪判決」の数を書くことができるのである。すべての犯罪の起訴・不起訴の権限を国家機関である検察官が握っている日本ではありえないことであるが、動物愛護団体にはこのような法律上の権限があるのは、フランスも同じである。

 

4.わが国動物法の課題

現代日本は動物問題の優先順位や位置づけにつき再考が求められているが、動物法の問題を考えるときは、保護の局面からだけ議論したのでは不十分である。もし、ヨーロッパの動物法に学ぶのであれば、手厚い保護法と厳しい管理法がセットになっていることに注目し、両者のバランスの取れた発展を目指すべきである。そしてその際、ペット保護がまず念頭におかれがちのわが国では、議論を意識して「理性化」する必要が特にあろう。自分が特に愛着を持つ動物との関係でのみ問題を語ってしまうと、冷静な議論はできない。さらに、動物法の問題は「法」一般の問題であるという視点も大事である。現在、わが国では大司法改革が進行中で、社会を一気に「法化」しようという流れの中にある。動物法の問題もそのひとコマをなすものであるから、法化社会の中でどう今後動物法をどのように生かしていくべきで、誰がその担い手になるのかという議論も必要である。その意味で、動物保護団体も法的アクターとしての鼎の軽重を問われているのである。RSPCAは国家機関ではない(「官」ではない)が、重要な「公」的役割を果たしている。日本ではそういう状況はまだ存在しない。文化の優劣は簡単に決められないが、もし西欧法の状況をうらやむのであれば、わが国の保護団体は、理性的な議論と適正な活動を通じて、社会的信頼を得るための地道な努力を続けるほかないだろう。

 

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実験動物の福祉向上と動物実験の適正化に関する制度改正について」

 

 

大学共同利用機関法人自然科学研究機構生理学研究所   鍵山直子

 

動物実験には二つの側面がある。1は実験動物の福祉に関すること、2は科学研究に関わること。

動物福祉は洋の東西の動物観の違いを色濃く映している。例えば東洋には「一切衆生悉有佛性」と言う言葉がある。これに対し西洋では人は万物の霊長といい、西洋の動物権運動を東洋に持ってきても今ひとつなじまない。

動愛法において対象は実験動物の福祉向上で、動物実験の科学的適性かは範囲外でありこれをごちゃ混ぜにしていけない。

動愛法は人間社会のために動物を利用することを前提とした法律で、動物実験の全廃でなく、動物福祉を向上させる方法をより適切なものにするもので、研究者等に自主的な改善努力を求める仕組みが基本にある。動物に触れる現場からのボトムアップが向上に直結するものでトップダウンでは効果的に現れない。

現在、環境省が実験動物の福祉の向上を動愛法を根拠に規定し、文部科学省が日本学術会議の政府勧告に基づき動物実験の適正化の指導をしている。

 

制度改正関係

動愛法では3Rの原則を入れたい。現行法の24条第1項を改正して「動物を試験研究又は生物学的製剤の製造の用その他科学上の利用に供する場合は、その利用に必要な限度において動物を用いない実験への代替、使用動物数の削減、動物実験方法の洗練に配慮するとともに、出来る限りその動物に苦痛を与えない方法によってしなければならない」としてほしい。

この一文の追加があれば国際的に日本には動物実験に関する法規が無いのではという誤解を払拭できる。

2自主管理の枠組みの整備

Rが明文化されてから、各期間の指針の策定と指針を指導監督する委員会の基準と、後述のガイドラインの両方で規定して欲しい。

行政的には別主体でも現場では実験動物の福祉向上と科学的適正化は密接不可分だ。

何もかも動愛法で規定は出来ない。末梢まで規定するとしまいにはヨーロッパのように産業の逃避を招きかねない。

3、実験施設と繁殖、販売業者への指導と実態把握

自治体による立ち入りに反対の立場をとる。科学研究の側面があるので、福祉と科学の両面をバランスよく考察できる実験動物学の専門性を満たし全国レベルで水準を一定に保てる評価機構が立ち入り、指導に当たるべきだ。

研究開発の場で、秘密保持が深刻な問題だ。製薬会社は新薬開発に10年以上の時間と数百億円を投じる。そのため立ち入りに伴う感染症の問題、企業秘密の漏洩の問題はあらかじめ解決しておかなければ立ち入りを拒むことも起こり得る。

運用の問題

研究者による福祉向上のための努力は、これまで正直言えばばらつきはあった。是正には全国統一の動物実験ガイドラインを策定し、自主的な改善努力をなすべきとの提言が06年7月日本学術会議からなされた。関連省庁は必要な対応と支援をお願いしたい。

まとめると、1、動愛法に3Rの理念を入れ込む。2、科学技術推進省庁は動物実験ガイドラインを策定する。行政は別主体でも各機関はこれまでの法規とガイドラインに合わせた内部規定で動物実験を自主的に管理する。これで今以上に規定のレベルは揃うようになる。自主管理の状態は機関の中の委員会によりモニターされるが別に第3者の評価機構が出来るので各機関をを客観的に評価し適合と認められた場合認証を交付する。このとき動物福祉を推進の環境省と科学技術推進の省庁の両方から助言と支援をいただくことで認証のオーソライゼーションが可能になる。

 

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「動物取り扱い業の現状と飼い主責任及び法規制の強化について

 

 

社団法人日本動物福祉協会 獣医師調査員 山口千津子

 

平成12年12月1日から法律が変わり野放しの動物取り扱い業が全国一律届出制になった。

届出が無ければ罰金、自治体職員の立ち入り調査もある。改善勧告も出せる。

実態はどうか。購入トラブルで私どもの会に入る情報は平成13年は78件、14年には151件、15年には214件に増えた。マスコミが煽るペットブームという原因もあるかもしれないが法が改正されてからも増えている。ネット販売、通信販売で購入されてとんでもない動物が送られることなども少しづつ増えている。

動物取り扱い業には繁殖販売業者、動物園、テーマパーク,訓練業、ペットホテルなどあるが、テーマパークでは、見た犬が病気だったり、過密すぎる飼育環境、「ふれあい」が売りの移動動物園では、触れれば病気が移りそうな動物ばかりだったりの驚くような状況がある。ペットホテルから帰ってきたら肋骨が13本折れていた等の話もある。

 このように届出はしてあってもその動物が適切に飼育管理されているわけではないことも(東京都は登録制)。苦情の数は確実に増えている。都などは頑張って改善指導するが追いつかない。運用するには法律の内容が未だ力不足の面があるのではないか。現行では取り扱い業の業種に入らないところも問題になっている。連絡会が裁判に訴えたケースでは乗馬クラブにおける馬の不適切な飼育管理で2頭餓死(検死せず警察は特定しないが)2頭を衰弱させ餌や水を充分に与えなかったことで乗馬クラブの持ち主には罰金15万円が課せられた。このように乗馬クラブでの不適切な飼育管理は多いにも関わらず、取り扱い業に入っていない。最近は女性にも乗馬は人気だが乗るだけで、その馬の状態までは気にせずお金を払って帰るだけの人が多い。

動物を飼っている家庭も多く、引越しで動物を運ぶ機会も多い。真夏の30度の朝に荷台に載せ関空では犬がはあはあと息を切らしていたので「このまま載せて大丈夫か」と業者に問いあわせたが、「大丈夫」との返事で羽田に着いたら死んでいた。これは飼い主が輸送業者を訴えた裁判で輸送業者に責任ありと認められた。

このように法改正では業種の拡大も必要だし、強化についても考えたい。都のように登録制でもなかなか取締りが出来ない状況があるので、さらに厳しい規制が必要ではないかと思う。

海外の場合、一度許可をとると一生涯ではなく、更新制のところが多い。良いところは日本も取り入れるべきではないか。

実験動物の繁殖、販売も取り扱い業に入れて欲しい。補助犬(盲導犬、聴導犬,介助犬)の訓練施設などでも平気で動物虐待に当たると思われる訓練をするところもあり、除外からはずして是非取り扱い業に入れたい。 inserted by FC2 system